2003-05-02 東京集会第三講


信仰
(ローマ1:17)
 
 
 昼間に、この集会に参加できるみなさんに、神さまは大いに祝福されることを信じます。アメリカ、日本、ヨーロッパのような国では、昼間の集会は難しいと思われています。それは、仕事のためです。そのようなわけで、アメリカでは昼間の集会をほとんどしていません。しかし、タラッパンでは必ず昼間の集会をしています。私たちは、神さまの力を信じていますので、ここに座っている間に、私たちの事業に神さまのわざが行われることを信じます。
 
<序論:1講、2講の整理>
 今回のメッセージをよく整理しましょう。
1講:欲望 
 3つのことに欲を持ちましょう。欲どころか、欲望を持ちましょう。福音を完璧に味わうための欲望を持ちましょう。詐欺師の言うことは、半分くらい信じるべきで完全に信じてはいけません。福音が不完全ならば、少しだけ信じれば良いでしょう。しかし、完全であるならば、完全に信じなければなりません。
・福音充満
 福音充満になった時に、他の問題を解決するようになります。ですから、余計なものを全部捨てて、福音によって充満になりましょう。
・祈り充満
 私たちは救われた者ですから、帰ったら今日から教会、地域の見張り人になるように祈りましょう。
・聖霊充満
 これから力が必要なので、聖霊充満にあずかりましょう。
 これが、最初の日のメッセージでした。
2講:挑戦
・聖書−伝道者(証人)
 聖書にあるとおりに答えられるようにしましょう。すべてをその方向に合わせましょう。すべてを日本に合わせず、聖書に合わせましょう。すべてのことをアメリカに合わせずに、聖書に合わせましょう。外見は日本人でも中身は聖書に合わせましょう。外見は日本人のようであればあるほど良いのですが、中身は聖書でなければなりません。ヨセフは、時間が経てば経つほど、ポティファルの家で熱心に働く者でしたが、中身は聖書通りでした。証人としてです。ぜひ覚えましょう。
・全地に弟子
 日本全地域に間違いなく弟子がいます。まったくいなければ、イエスさまは失敗されたということですが、そうではありません。そうであれば、弟子を探すところに合わせましょう。
・代表的祝福
 聖書にあるすべての伝道者は、代表的な祝福を受けていました。山の上に立てられた家のように。ヨセフのように。ダビデのように。パウロのように。初代教会のように。代表的な祝福を受けていたのです。
 私たちに、それができていないので、それに挑戦するようにと言いました。そのようになっていれば、挑戦する必要はないのですが、できていないので、挑戦しましょう。ですから、この約束をしっかり握りましょう。
 
 作家の中にゲーテという人がいました。多くの作品の中でファウストという作品がありますが、それを書くために60年かかりました。小説を書くためにも、60年間、心を注いでいたのですが、私たちはそれに比べることができないほど、すごいものを持っています。ジョン・バンヤンという人は、天路歴程という作品を書くために16年かかりました。また、フランスの革命史を書くために、20年かかった人もいます。私の知り合いの一人は、蝶を30年間追いかけていました。蝶をつかまえないと死ぬわけでもないのに、そんなに長い間、追いかけていたのです。また、知り合いの教授の一人は、みかんの皮の研究を25年もして、食品の博士の学位を取ったのです。私たちのタラッパンでは、伝道のことをずっと考えています。本当に私たちは、大いに祝福された者です。ですから、今からこの考えばかりをしましょう。そういう意味で、今日、結論を申し上げます。
 
<本論>
 このようなすべてを成すために、一つのことを持っていなければなりません。すべてのことを成し遂げるために、一つのことは欠かせません。それは、信仰です。信仰なくしては、何もできないのです。この言葉一つをつかんで、世界を生かした人がいます。「義人はただ信仰によって生きる」という聖書箇所をつかんで、その結果、世界が変わりました。マルティン・ルターです。
 
 日本からなかなか韓国に来ることが難しいので、信仰の10の土台について覚えやすいようにお話します。10ありますが、すべてつながるので、簡単に話すことができます。これから、私たちは何を信じるべきでしょうか。
 
1.神さまの主権(I歴代29:10〜14)
 一番先に信じるべき内容が、神さまの主権です。なぜ日本に住んでいるのでしょうか。それが、神さまの主権です。たまたまここに来たと思っているとしても、神さまの主権なのです。なぜアフリカで生まれずに、日本で生まれたでしょうか。それが、神さまの主権です。私たちの死ぬ日を誰が支配されているでしょうか。神さまが支配されています。間違いありません。そうであれば、考え方を早く変えなければなりません。ダビデは、神さまの主権を完全に信じていた王でした。ですから、どんなに困難がやってきても、揺れることがありませんでした。「親が私を捨てることがあっても、神さまは私を捨てることはない」と言いました。誰が勝つことができるでしょうか。「お前は剣と槍を持って出てきたが、私は万軍の主の御名によって出る。神さまは、獅子の口からも私を守ってくださった」これが、ダビデの信仰です。いろいろ心配せず、神さまの主権を信じましょう。これを信じないと、どんなに持っていることがあっても、自分で自ら崩れて行ってしまいます。理解してもらうために、論理的に3つずつ整理しました。
 
(1)不信仰
 すべての不信仰はすべて捨てましょう。正しい言葉であっても、不信仰的な話は聞かないように。どんなにもっともな話しであっても、不信仰の話があります。ですから、不信仰には絶対について行かないようにしましょう。神さまの主権を信じましょう。そうすれば、私たちは揺れることがありません。
 
(2)100%
 神さまはどれほど信じるべきでしょうか。行いは完璧にできませんが、信じることは100%信じなければなりません。牧師先生は人間ですから、100%信じてはいけません。しかし、神さまは100%信じなければならないのです。行いではそれほどできないのですが、信じることはそうしなければなりません。
 
(3)選択
 これから、どういう選択の時でも、信仰のほうを選択しましょう。ある人が、裏で私の悪口を言ったそうです。それも、とんでもない話でした。それで、その人に罰を与えるべきで、くせを直そうを思ったのです。しかし、祈っているうちに翌日忘れてしまいました。その時、信仰のほうを選びました。神さまはどちらを喜ばれるのだろうか。私が行く所々で、私の悪口を言う人がいました。集会に行くときは、そこに電話をかけ、アメリカに行くとアメリカに電話をかけるのを使命のようにしていた人がいました。私には法律を持っても、けんかをしても勝つ自信があったので、けんかをしようと思いました。しかし、ずっと祈っていると、それがそのようにはなりません。神さまがけんかをするのを許されませんでした。そのうち、神さまの御手にゆだねますという選択をしました。神さまが本当に生きておられ、私が神の子どもであり、間違いなく私は伝道者であり、私は未信者ではなく信徒であり、聖書は本物かと考えました。そうであれば、信じるべきでしょう。そうであれば、その人と私がけんかをする暇があるか、価値はあるかと考えたのです。価値はないと思ったので、放っておきました。神さまがその人を永遠に召してくださいました。私が手を出していないのに、神さまがなさいました。その話を聞いた時に、不思議なことに少し恵まれました。アブラハムが不信仰を選んで、今まで苦労しています。エジプトに下って行った不信仰が、いまだにイスラム教の問題になっています。ですから、絶えず考えるようにしましょう。神さまを完全に信じるべきです。
 
 ある軍人がお証しをしました。来月、将軍になるかどうかという時に、おかしなうわさが広まりました。あの人は、タラッパンだから、将軍にはなれないだろうと言われたのです。軍の部隊には信徒が多くいたので、タラッパンをしているからだめだと言われたのでした。決定の三日前に心配になり、不信仰が入ってきました。「今回、将軍になれなければ、除隊しなければならない。除隊してどうするのか。お金もあまりないのに何をするか」という思いに引っ掛かったのでした。それで、神さまの御前にひざまずいたのでした。「神さま。私は神さまの子どもです。三日後、私が将軍になるか、ならないかは、神さまがご存じです。それはそれとして、なぜ私はこんなに心配になるのでしょうか。私は神さまの子どもではないでしょうか」という祈りをささげたそうです。将軍になると言われていた人は、すべて落ちて、この人が将軍になりました。人々が、その人をねたんで、田舎のほうに行かしてしまいました。将軍になって、田舎の遠い所に派遣されたのです。そうすれば、しばらくしたら除隊しなければなりません。しかし、その人の部隊を訪問したら、玄関に聖書の箇所が書いてありました。「わたしは、だれを遣わそう。私を遣わしてください」その下のイザヤ6章という言葉は抜いて、聖書箇所だけが書いてありました。全国の部隊で一年間の成績が、その部隊がトップで、大統領賞を受けたのです。その人は、また昇進しました。それで、本部に入りました。この間、会って「神さまの大きな計画があるでしょう。私たちが将軍になるところにも、ならないところにも、神さまのご計画があるので、心配することはありません。将軍になったので感謝なのではなくて、ならなくても感謝ですよ」と話しました。私たちは、蠅の研究をする者ではなく、本当に大事で、貴重なものをつかんでいる者ですから、神さまの主権を信じましょう。この神さまの主権の信仰がなければ、自分で自ら崩れて行きます。誰かが何かを言っているのではないのに、自分で壊れて行くのです。
 
2.キリスト(エペソ1:1〜13)
 2番目、何を信じるべきでしょうか。私たちは救われることができないとご存じで、神さまはキリストを送ってくださいました。とても大事な話です。私たちは救われることができません。資格も、能力もありません。実は罪人です。私たちは多くの失敗をしてしまいました。救われることはできません。すべての人が同じ罪人です。創世記3章の原罪から抜け出すことはできません。日本にある霊的な問題から抜け出すことはできません。それで、神さまはキリストを送ってくださいました。信じましょう。
 
(1)理解
 どのように信じるべきでしょうか。昨日、申し上げましたが、キリストがどういう意味なのか、まず知っていなければならないでしょう。
 
(2)根
 それから、知ったとすれば根をおろさなければなりません。
 
(3)体質
 根をおろした後は、何が変わるでしょうか。体質が変わります。体が健康になるためにも、体質を変えなければなりません。ぜひ覚えましょう。
 キリストに根をおろしていないと、みなさんの家系、回りにある霊的な問題は、絶対に解決しません。今日、世界の教会はキリストに根をおろすことができないように、すべてを用いています。だまだされないようにしましょう。どんなに信仰生活を適当にしても、サタンが喜ぶことをしてはいけないでしょう。どんなに能力がない者であっても、サタンが喜ぶことをしてしてはいけません。しかも、サタンが最も願っていることを、最も熱心にしてはいけないでしょう。ぜひ覚えましょう。この事実を信じましょう。これさえ信じていれば、まちがいなくなります。やることもありません。信じなさいと言われたのですから、信じれば良いのです。
 
3.聖霊の働き(ヨハネ14:16〜17)
 3番目です。神さまは目に見えないように聖霊を通して働いてくださいます。
 
(1)内住
 どのようにしてでしょうか。聖霊さまが私たちの中に内住しておられます。ですから、私たちは絶対に滅びることはできません。Iコリント3:16。
 
(2)導き
 ですから、聖霊の導きにあずかることにあがきをすることが、信仰生活です。
 
(3)充満
 聖霊充満にあずかる時に、世に勝つことができます。今回、集会を通して恵まれて帰ってみると、失望するようなことがまたあるでしょう。良心的な人は、なぜ自分はこうなのかとがっかりするでしょう。しかし、良心に鉄板がある人は、そうでないでしょう。どちらが良いでしょうか。鉄板をおいたほうが良いでしょう。鉄板を置いていなければ、地獄に行かなければならないでしょう。自分は日本に住んで、あれこれあって教会に行くこともできませんとなると、地獄に行くしかないでしょう。良心に引っ掛かることも多いし、どうやって教会に行くことができるでしょうかとなれば、地獄に行くしかないでしょう。私は罪人なのですが、じっとして十字架をつかんでいれば、救われるのです。聖霊充満にならないかぎり、世に勝つことはできません。ですから、失望しないで、聖霊充満を求めて祈りましょう。アルコール中毒の人は、お酒をやめようとせず、聖霊充満を祈りましょう。やみが入ってきた時には、電気をつけるべきであって、やみを追い出すためにどんなに努力しても逃げていくことはありません。聖霊充満でなければ、力は与えられません。私たちの力では、伝道どころか、自分自身のコントロールも難しいのです。それで、イエスさまは最後のメッセージを通して、聖霊充満にあずかるようにと言われました。そうすれば、すべての世に勝つようになります。私が朝起きて、今までしたことは、一つしかありません。祈ったのですが、聖霊充満を与えて下さいと祈りました。それがすべてです。集会が終わって、飛行機に乗って帰る時も、聖霊充満を祈ります。
 
 この通りに信じれば良いのです。多くあるのですが、説明のために論理的に3つずつ取り上げました。難しくありません。順番も簡単に、父、御子、御霊なる神、そして、次は神さまのみことばです。頭が悪いのにどうやって覚えるかとか、心配しないで、簡単に、父、御子、御霊、聖書です。
 
4.みことば(Uテモテ3:16〜17)−方向
 4つ目、みことばです。ヨハネ14:16〜17、何を信じるべきでしょうか。神さまのみことばです。Uテモテ3:16〜17、聖書は神の霊感によって書かれ、17節には、完全な書物だと言われています。間違いありません。ですから、信じればそれで充分です。私は聖書にすべての答えがあるということに気づきました。このみことばを信じていないか、あるいは知らないでいたら、どんなに努力しても方向が合いません。どんなに救われたとしても、聖書を間違って理解しているのに、どうやって正しく行けるでしょうか。いったい聖書には、何が入っているでしょうか。多くのことが書かれていますが、3つのことがメインです。
 
(1)根
 絶対に滅びることがないように、福音に根をおろしなさい、ということが聖書のテーマです。
 
(2)霊的存在
 そして、この世を乱している霊的な存在がいるということです。
 
(3)生き方
 そして、すべての人が人生にどのように成功するかに対する正確な答えが書かれています。そうすれば、成功します。大統領はどうしたら良いのかは、聖書にあります。つまり、すべてがあります。この事実を信じましょう。占い師の言うことを信じるのに、なぜ聖書、神さまのみことばを信じないのでしょうか。悪霊につかれた人にお金を払いながら、商売を託すでしょう。なぜ、神さまのみことばを信じないのでしょうか。なぜ豚の頭や、魚の頭をおがみながら、神さまのみことばを信じないのでしょうか。お守りを持っていることを頼りにしているのに、なぜ神さまのみことばを信じていないのでしょうか。神さまのみことばを正しく理解していないと、政治もうまくできません。霊的な問題を解決できないのに、どうやってできるでしょうか。私たちは、本当に大きな祝福をいただいている者なのです。
 
5.神殿(Iコリント3:16)−教会理解
 それでは、私たちは誰でしょうか。このすごい祝福がありますが、私たちが救われたということは、私たちが直ちに神殿になることです。これは、驚くべきことです。Iコリント3:16。これを理解することによって、教会を正しく理解するようになります。
 
(1)聖霊内住
 この人は、神の神殿です。隣にすてきな人がいれば、それはすてきな神の神殿です。メッセージを聞きながら眠っていても、眠っている神の神殿です。神さまの聖霊がともにおられます。それを知らない人は、教会の人を見て「何なの?」と思ったり、教会に行くとつまずくと思うのです。その人は、いいかげんに勉強した人です。教会に行ってつまずくことがないようにしましょう。少し勉強した人、一流大学を出たような人は、教会に行ったら、「何だこの人達は!」と思ってしまうことがあります。神殿であることを知らないからです。「クリスチャンなのに、何なのか」「気が狂っているのか」と思うかもしれませんが、気が狂っているかもしれませんが、その人を救うために神さまの聖霊が働かれました。直すことは、神さまがなさるのです。いつ直されるのかは、時刻表に従ってです。家族全員を救われるためには、少しゆっくりと直され、孤児の場合はすぐに直されます。それを知らないで、教会に行ってつまずくということは、愚かなことであって、救われていないかもしれません。私たちは誰でしょうか。神の神殿です。神さまの聖霊が、私たちの中に住んでいらっしゃると言われているでしょう。
 
(2)マタイ18:18〜20
 ですから、マタイ18:18〜20、私たちが集まる所に、神さまのみわざが行われます。
 
(3)使徒2:1〜13
 使徒2:1〜13を見ると、私たちが集まって祈っている時に、そこに神さまが働かれるのです。どのようにでしょうか。聖霊を通してです。ぜひ覚えましょう。教会が何か理解する前に、自分が何かを知っているべきです。私は神の神殿です。みじめな者であるけれど、神の聖霊が私の中にいらっしゃるのです。コップに水を入れると、水のコップになります。そこに油を入れると、同じコップなのに油のコップになります。それと同じように、私たちは弱い者ですが、中に聖霊さまがおられるので、神殿です。やみの力が襲いかかってきても、実は、触れることもできないのです。信じましょう。ぜひ、この約束をつかみましょう。
 
6.現場(使徒18:1〜4)宣教地−伝道理解
 私たちが信じるべき6番目の土台です。順番どおりなので、何も難しいことはありません。父、御子、御霊、聖書、そして、私たちが神殿、それから外に出て行くので、現場のことになります。現場が宣教地です。これも信じましょう。もしかして、無人島に住んでいるならば、伝道をしなくても良いです。神さまは魚を救われることはないからです。使徒18:1〜4。これを信じるときに、伝道が何か理解できるようになります。3つの状況が現れるようになるでしょう。
 
(1)悪い状況
 とても悪い状況がやってきます。それでも、宣教地です。それは、より多くの計画があるのです。3人の例をあげれば、ヨセフ、ダビデ、パウロです。ですから、揺れないで信じましょう。
 
(2)答えられる所
 2番目です。それと反対に、とても答えになる所もあります。そこも宣教地です。
 
(3)自分がいる所
 自分が立っている所が宣教地です。何をしてはいけないのでしょうか。つぶやいたり、失望したりしてはいけないのです。ある宣教師が「私は炎の中にも、水の中にも入れる。そこにも神さまはいらっしゃるから」と言いました。その方が年をとって癌になったのですが、「私は手術をしません。この年になって癌になったのは、神さまのみこころです。神さまが来いとおっしゃっているから、早く天国に行きたい」と言いました。すごい信仰でしょう。その癌が治る奇蹟が行われました。ぜひ信じましょう。私たちが受ける祝福は、食事を食べるようなものではなく、ものすごいものなのです。アブラハムに、これを見なさいと言われたのに、食事の心配をしたので、たたかれました。モーセにこれをしなさいと言われたのに、年のことを心配したから、たたかれました。初代教会にこれをしなさいとおっしゃったのですが、力がありません。それで、聖霊充満を与えられたのです。
 
7.生死、福、災い(詩篇139:1〜9)−計画、性格
 7番目です。何も難しいことはありません。神さまは、私たちの生死、福、災いをすべて支配なさっています。詩篇139篇です。これを知らないと、2つのことが分からなくなります。神さまのご計画が来ているのにもかかわらず、発見できません。そして、これを信じていなければ、私たちの性格がおかしくなります。これを信じていると、死ぬときになっていても、大丈夫です。生死は、神さまの御手にあるから、行けば良いだけです。来いとおっしゃっているのに、仕方がないでしょう。生死、福、災いは、すべて神さまが支配なさっていますことを、本当に信じている時に、目が開かれて神さまのご計画が見えてきます。
 
(1)過去
 自分の過去は、神さまが導かれました。自分勝手になったのではありません。
 
(2)現在
 今、現在、神さまの祝福をどのように受けるのか、自分の勝手にできるのではありません。
 
(3)未来
 自分の未来は自分の手にはありません。神さまの御手にあります。信じることを主の御名によってお祈りします。これは、何もしないようにということではありません。本当に大切な内容です。
 
これが、私たちが信じるべき、7つの土台です。父、御子、御霊、みことば、救われた自分、この世です。大事な内容が3つ残っています。
 
8.死、さばき(ヘブル9:27)−大胆で謙遜
 死、さばきです。ヘブル9:27。
 
(1)時限付き
 人間には、一度死ぬことが定まっています。心配しないようにしましょう。2回死ぬのではなく、1回です。誰かが死んだと言いますが、一度はみんな死ぬようになっています。総会長も私も、一度は葬式をしなければなりません。総会長が先に死んで、私がメッセージをするのか、私が先に死んで総会長がメッセージをするのか、それは誰も知りません。しかし、確かなことは、神さまが決めておられます。癌にかかった人は、だいたい自分がいつ死ぬのか予想できているだけで、みんないつかは死にます。これが分かっていると、大胆でありながら、謙遜になります。高慢になりません。そして、恐れることはありません。私たちの人間のいのち、救われた人のいのちが、神さまの御手にあることが分かっていると、大胆でありながら、謙遜になります。ですから、心配しなくても良いのです。間違いありません。人間は、全員、時限付きの人生です。生きている間に、立派に生きましょう。一度、信仰生活をするので、どうせするなら、立派な計画を立てましょう。どうせ目標をたてるならば、神さまに大きな栄光を帰すための目標を立てましょう。みんな時限付きの人生です。
 
(2)さばき
 それから、さばきがあります。未信者は地獄に行くさばき、私たちは天国に行くさばきです。その意味で、さばきにあうことがなくと言われています。
 
(3)むくい
 それから、必ずむくいがあります。間違いありません。ですから、私たちの短い人生、精一杯、福音のために尊く生きましょう。私は悩み事がある場合、5分以内で済ませてしまいます。ある人は、悩み事があると、一晩中、また、翌日も、あるいは1年中悩む人もいます。そうする必要はありません。ちゃんと考えて、5分以内で終わらせましょう。すべては、神さまがご存じです。
 
9.来世−背景
 9番目です。みなさんが信じるか、信じないかにかかわらず、来世はあります。私は8番目までは体験しましたが、9番目は体験していません。私は、神さまの主権、キリストの救い、聖霊の働き、神さまのみことば、救われた私、伝道の現場、神さまの祝福、すべてを体験しました。また、死ぬ人を見ながら、神さまは人間のいのちを支配なさっていると思いました。しかし、来世はまだ死んでいないので、体験していません。今までまったくいつわりのない聖書に書いてあることを見ると、事実、そのとおりになると信じています。私は、これを信じて3つのことを悟りました。
 
(1)地獄の背景
 地獄に行く人は、地獄に行くだけではなく、地獄の背景の中に今いるのです。
 
(2)天国の背景
 天国に行く人は、天国に行くだけでなくて、天国の背景の中に今いるのです。列車の種類によって、待つ所が違います。地獄に行く人は、いつも悪魔にいじめられて、地獄の背景です。
 
(3)国
 それで、私たちに「神の国」という言葉を与えられたのです。使徒19章を見ると、パウロは神の国について語っていたと書かれています。使徒1章を見ると、イエスさまも40日の間、神の国のことについて語っておられました。私たちが行く所々で、神の国が臨まれるべきだという意味が分かりました。これが単なる来世ではなく、今の私たちの背景であることが分かったのです。本当に大事な内容でしょう。昔はこの部分は、たいして重要だとは感じていなかったのですが、本当に大切なのだと悟りました。日本の市民権を持っていれば、日本の国が背景になります。日本に住んでいなくても、日本の国が背景になります。
 
 以前、パク・セリというゴルファーのテレビ中継がありました。アメリカのテレビが、パク・セリはちょっとだけ映して、相手のことばかりを映して、その家族まですべて映していました。劇的にパク・セリが勝ったので、しかたなく、パク・セリを映したのですが、パク・セリに負けた選手は、帰っていく姿まで映されていました。なぜならば、パク・セリは韓国の人で、負けた人は、アメリカの市民権を持っている者だったからです。つまり、背景のことです。当たり前のことでしょう。中国の飛行機が墜落したことがありました。アメリカでは、ニュースで一回放送しただけでした。なぜならば、その飛行機の中にはアメリカの人が乗っていなかったからです。しかし、グアムの爆発事件があった時には、アメリカは調査本部を設置しました。なぜならば、そこにアメリカの市民権を持っていた人が3人乗っていたからです。背景のことです。私たちは、そのような市民権ではなく、天国の市民権を持っています。今、見るとみなさんの顔が少し明るくなってきているようです。日本に来ると、人の顔がいつもしかめつらなのですが、少し明るくなりましょう。そのためには、恵まれなければならないでしょうけれど。背景はすごいのです。どんなに化粧をしていても、内側から出るものがすてきでなければなりません。どんなに研究して、化粧をしていても、内側がめちゃくちゃならば、目に映るものが何か違います。ですから、この約束をかたく信じましょう。
 
10.真の伝道者−祝福
 最後の10番目です。それでは、どうなるでしょうか。真の伝道者です。神さまは祝福せざるを得ないでしょう。この9つの内容が本当ならば、神さまは真の伝道者を祝福せざるを得ません。マタイ6:33において、すべての祝福を与えられると言われました。特に経済の祝福です。アメリカを見ましょう。神さまは、すべての祝福を与えられます。
 
(1)真の福音
 私たちが真の福音なのかが、大切な鍵です。そうであってこそ、
 
(2)真の伝道
 真の伝道ができるようになります。
 
(3)真の弟子
 そうであれば、この信仰さえしっかりと持っていれば、真の弟子です。
 真の福音、真の伝道、真の弟子に、神さまは祝福されざるを得ないでしょう。「それに加えて、すべてのことが与えられます」信じられるでしょうか。私は、どう考えても信じられます。私は10の土台を考えれば考えるほど、そのとおりだと思います。聖書にあるとおりです。ただ私がしたのは、それを見出しただけです。ある時は錯覚して、「自分は結構、賢いな。こんなことができるとは」と思うのですが、分かってみると神さまの恵みです。祈り続けると、出るようになるでしょう。分かってみると、自分の作品ではなく、聖書にあるとおりです。
 
結論
 結論です。不信仰をしないように。今も生きているサタンの通路になります。不信仰になると、霊的な目が暗くなります。不信仰になると、肉的な部分は発展していても、霊的な目は暗くなります。善悪の木の実をとって食べた瞬間、肉的な目が開かれて、霊的な目は暗くなりました。サタンの言うことを聞いて、不信仰が入ってきました。不信仰は要りません。間違いない事実です。私たちが、この信仰を持って、欲望と挑戦に向かうと、勝利するようになります。今から一生、答えられるように主の御名によってお祈りします。
 
(祈り)
 感謝を神さまにささげます。私たちをとても祝福された神さまに感謝します。日本を祝福される神さまに感謝します。日本を通して、神さまのご計画を成し遂げてください。私たちは弱いのですが、この信仰の土台に立つようにさせてください。今から重要な挑戦にチャレンジするようにさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン